毛利水軍を震撼させた織田水軍のリーサルウェポン
戦国時代において、もっとも大きな海戦といえば…
織田水軍と毛利水軍の2度にわたり大阪木津川付近で行われた戦い。いわゆる木津川海戦です。
この戦いは、一向宗の本山、石山本願寺に補給物資を運び込もうとした毛利水軍を阻止すべく、九鬼嘉隆率いる織田水軍が迎撃したことから始まりました。
一回目の戦いでは、毛利水軍による得意技、焙烙(ほうろく)攻撃で待ち構える織田水軍を返り討ちし、毛利水軍の完全勝利に終わりました。
※焙烙とは、素焼きの土鍋の一種です。 村上水軍(毛利水軍の中核)は、この土鍋に火薬を詰め、敵船に投げ込むという意外!な戦法を発案。
当時の船(安宅船)は木造のためこの攻撃効果はテキメン! 着弾した織田水軍の安宅船はたちまち燃え広がり次から次へと沈没していきました。 この焙烙攻撃は織田水軍にとってかなりの脅威だったのです。
この第一回海戦の敗北をうけ、信長は焙烙攻撃への対抗策を緊急討議。
分厚い鉄甲で船の外側を覆った巨大安宅船の建造を丹羽長秀、九鬼嘉隆に命じました。
これを受け織田水軍のリーダー、九鬼嘉隆はわずか2年の間に6隻の鉄甲船を建造します。
さらに九鬼水軍が得意とした砲術を活かすために、大砲3門も配備。
ここに織田水軍のリーサルウェポン「鉄甲船」が完成しました。
そして、運命の1578年12月4日。
補給物資を石山本願寺に運び込もうとする毛利水軍を、再び織田水軍が迎え撃ちました。第二次木津川の戦いです。
前回は無敵を誇った毛利水軍の焙烙攻撃も、鉄甲船の鉄板にことごとく跳ね返され効果はなく、逆に鉄甲船の3門の大砲が至近距離で毛利安宅船を集中攻撃。
毛利水軍はなすすべもなく沈んでいった。と当時の戦いを伝える信長公記には記されています。
二回目の戦いで毛利水軍を壊滅させた織田水軍は、近畿港湾の制海権を確立。
補給物資の届かなくなった石山本願寺は次第に弱体化し、 ついに信長に降伏することになりました。
信長の最終兵器、鉄甲船の圧倒的パワーをTシャツで体感セヨ!

【バック】


フロントデザインの拡大。織田家家紋を波を意識してアレンジされています。
正式な家紋と比べてみてください。
【バックプリント拡大】

バックプリントの拡大。信長率いる織田家臣団入りです。
戦国グラフィックス的顔グラに賛否両論!?


<仕様>
●サイズ:
S / 身丈63cm、身幅47cm、袖丈18cm
M / 身丈68cm、身幅52cm、袖丈22cm
L / 身丈72cm、身幅55cm、袖丈22cm
XL / 身丈75cm、身幅60cm、袖丈23cm
●ボディカラー:ネイビー
●ボディ:綿100%・ユナイテッドアスレ6.2ozへビーウェイト
●プリント方法:シルクスクリーン
●プリントインク:水性インク






































